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【平和について・原家ヒストリー】

 1ヶ月のご無沙汰でした!事務局長の原です。1週間ではございませんが、玉置宏さん風に挨拶をしてみました。(笑) 玉置宏さんは、1934年(昭和9年)生まれ、私の亡きオヤジと同い年です。大橋巨泉さん、森山周一郎さん、藤村俊二さん、愛川欽也さんなどなど芸能界には「昭和9年会」なるものがございました。よくオヤジが「オレも9年会だからな」と。いやいやアナタは芸能人じゃありませんし、みなさん、アナタのこと知りませんから~残念!と、亡きオヤジの話から入りましたが、私の平和運動や社会運動は、オヤジに対する気持ちが大きく関わっているのです。少しばかり原家ヒストリーに偏ってしまいますけど、平和に対する気持ちを数回にわたってお話しようかなと思っています。

 

 オヤジは戦地には行ってませんが、戦時中の生まれです。よく自分のことを軍国少年と言っておりました。私が小学生の頃、運動会で国旗掲揚になると直立不動で日の丸を目で追っていたオヤジの姿が記憶の片隅に残っています。(嫌でしたけど) 思想的には、完全な右寄りで天皇崇拝・君主崇拝だったと感じています。


 オヤジの実家は、鎌倉の小松通りにあり、特に戦禍に巻き込まれることもなかったと聞いています。「貴重な歴史的遺産に富む鎌倉は空襲対象から外された?」まぁ諸説ありますが、鎌倉市のホームページには、そのように記されていると思います。後にお話ししますが、空襲対象については、亡きオフクロと決定的な違いがありました。なぜ、戦禍に巻き込まれることのなかったオヤジが息子の私に対して軍国少年を強調していたのか?大人になった私が、なぜ平和運動や社会運動に参加するようになったのか?そこには、オヤジに対する思想的な反発感情、オフクロに対する思い、自分なりの思想・信条が絡まりあっての運動参加だったと感じています。

 

 そして、その後、オヤジの思想や信条が軍事教育ばりの私に対する超スパルタ教育へと変貌していきます。

 

 高市総裁が誕生し高市総理となり維新との新連立政権が組まれ右傾化が懸念される中、民商としての平和運動と私の話を含めながら平和について語っていきます。それでは!また!

 
 
 

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